うちの父方のばあちゃんはもともと島の住民ではなく、本土のほうから嫁いできた。
当時、船はエンジンのついた船ではなく、櫓漕ぎの船、つまり人力で漕ぐ船しかなかったらしい。
だから、悪天候の時は島に監禁されるのはもちろん、めったに本土に渡ることがないので、島の住民たちは、何から何まで島で作ってた。
麦、芋、野菜、味噌、醤油など
家畜もいたらしく、今でも豚小屋の残骸が残ってる。
今とは違い、そんな過酷な条件の中、島に嫁いできた。
そのばあちゃんは、気が強く(今思えばそんな環境だからこそ気が強くなるよりほかなかったのかも)、昔は散々怒られてた。
だからおれにとってばあちゃんは優しい存在ではなかった。
むしろ、嫌な存在だったのかもしれない。
そのばあちゃんが、何年か前から認知症になり、急におとなしく、元気がなくなってきた。
今年のはじめから老人性のうつも交じって、いよいよ元気がなくなり、夕飯どきにいなくなったり、夜中に泣きだしたり、すごく不安定な状況になった。
元気のいい、小言ばかりいう、気の強いばあちゃんがいなくなってた。
その時おれは、今までほんとうのばあちゃんを見てなかったのかもなーと思った。
小言ばかりいう、嫌味をいう、ばあちゃんの一面しか見ず、さみしがりやで、冗談がすきで、歌を歌うのが好きなばあちゃんを見てなかったのだと・・・
そして、これはばあちゃんに限らず、おかんやおとんに対しても言えることなのかもしれない。
そして、ばあちゃんは入院するまでになった。
家族の想いはやはり、自分達でばあちゃんを見てあげたい。
自分たちと生活し、元気を取り戻してほしいという想いもあった。
が、食事を取らないという大きな理由もあり入院することに。
複雑な気持ちだった。
お見舞いに行くと、患者の部屋に行く通路にはカギがかかってるし、部屋までお見舞いにいけないし、患者の量は多いし、ほんとにここで大丈夫なのだろうかと心配だった。
ばあちゃんはほんとに帰りたそうだった。
食事もあんまり食べず、点滴を打って栄養を取ってた。
閉鎖的な空気と全員じゃないけど看護師のぶっきらぼうな態度も目についた。
でも、入院してすぐに、退院させたほうがうまくいくという自信もなかったからどうすることも出来なかった。
お見舞いに行ける時は出来るだけ行った。
おれの嫁のちさとが、自分のばあちゃんのように優しくしてくれて、ちさとが来るのはほんとに嬉しそうだった。
元気がなかなか良くならないばあちゃんにどうすることも出来ずに、ただまめにお見舞いに行くだけ・・・
たまに笑うばあちゃん、でも、目がどこか遠いところをみているような気がする。
80年近くの記憶があって、認知症により忘却がある。
まだ30年しか生きてない若造にはわからない重みがあるのかもしれない。
そのばあちゃんが最近、元気が少しずつ戻ってきてる。
食事も食べれるようになってきたし、目を見て話してくれるようになった。
自分から話しかけてくれるし、おれたちの子供がまだ出来ないのかと心配もしてくれる。
患者同士で友達も出来たみたいでよく友達の話をする。
よくしてくれる担当の看護師さんもいて、環境はいいみたい。
最初は病院に入れていいのかと疑問に思ってた、今も少し思ってるけど。
でも、結果的に良い方向に向かってる。
うつの状態が良くなったら退院するだろう。
認知症のほうはなかなか完全には治らないらしい。
でも、忘れていくのは自然なこと、ばあちゃんが苦しくなければ、忘れるのは問題ないのかもしれない。
どうすればばあちゃんにとって一番いいかはばあちゃんにしかわからないけど、
ばあちゃんが死ぬまで穏やかな気持ちでいてくれればいいなと思う。
形なんてどうでもいいのだ。
個人的には島に戻ってきてほしい。
そして、島の他のばあちゃん達と、昔の話をしながら、次の世代に島はこんなんだったって伝えてほしい。
でも、どんなばあちゃんになっても、ありのままをみるようにしたい。
たけし